第45回青年の船「とうかい号」 > 寄港地台湾について
台湾概要
台湾は1895年の下関講和条約によって清国から日本の委任統治領となりました。
日本は「内地延長主義」として、獲得領土を日本国内と同じように扱うという、欧米列強とは正反対の政策をとりました。当時の台湾は、風土病や原住民の反乱が多く、ヨーロッパからの持ち込まれたアヘン吸引の悪習もはびこり、土地も人心も荒れ果てていたが統治後アヘン吸引の習慣が根絶され、各地に病院が建設され、「解決不能」とまで言われていた台湾の状況は一新されました。そして日本は教育に力を注ぎ、日本から優秀な教育者を派遣し、台湾中に学校を建て、物事を学ぶ姿勢を根付かせ、1904年に3.8%だった台湾児童の進学率は1944年には71.3%まで向上しました。日本統治時代が50年続いた後、1945年、日本の敗戦後に中華国民党政府による接収により中華民国となりました。台湾には独自の日本精神(リップンチェンシン)という言葉があり、清潔さ」「公正さ」「勤勉さ」「責任感」「規律遵守」「信頼」「滅私奉仕」を指す言葉として誉め言葉で使われています。この言葉にもあるように、日本人としての「和」の精神性と文化の影響を今も残しております。そして台湾は東日本大震災では、どこよりも早く支援をいただくほどの友好国でもあります。
台中
台中市は日本統治時代に鉄道や海運が整備され、台中州の州都として繁栄した都市であり、2016年2月に2年間の改修工事を終え蘇った台中市役所をはじめとする統治時代の建造物が未だ多く残っている日本との関わりが深い都市です。その一つに、台中市には1927年に建立された寺院があり、日本統治時代に台湾で亡くなられた日本人、約14,000名の共同墓地があります。第二次世界大戦の敗戦に伴い破棄されたものを、現地の台湾人により共同墓地が再建され、現在でも慰霊祭が行われております。また台湾人が住みたいまちランキング1位となっており、2017年8月の調査では人口は277,8万人と高雄を超え台湾で2番目に人口の多いまちとなり、今後もさらなる増加と経済成長が見込まれております。